やすこYさんの感想

私は四国高松から腹話術の人形の愛ちゃんと共に参加させていただきました。 ・北三陸 高松におられたダウン宣教師が北三陸で牧師として狭いアパートの二階に拠点を置いて、あちらこちらの仮設住宅を回っておられるところを、一緒に訪問させていただきました。 朝から今にも雨が降りそうな仮設の外の空き地に、車に積んできた来たテントを広げ、用意したおにぎりを広げ、軽食のひとときを持たせていただきました。そのうち雨がひどくなりテントを集まって来た方々の上に移動させました。みんなで膝を突き合わせて、丸くなってお話ができてとても良い時を持ちました。人形の愛ちゃんも用いられました。 帰りに仮設の窓から手を振ってくださったお婆ちゃんの顔が目に浮かびます。雨の中でもダウン宣教師の最高の笑顔が輝いていました。私たちもびしょ濡れになりましたが、心はさわやかでした。 昼から雨が止まず、次の仮設では一軒一軒ドアをたたいて訪問し、おにぎりを配りました。一軒一軒ドアをたたかれる先生の姿に、さすが宣教師だなあと思いました。私には勇気がありませんでしたが。 ・南三陸 集会所で待っておられた方々は、オレゴンから来たチームということで外人が来られると思っていたようです。チームの方が手製の和服を着て、オレゴン州のアメリカ人のお茶の先生が作られたというお茶碗を使ってお茶会をされました。「お茶は初めて」「美味しかった」「ほっとしました」との言葉が嬉しかったです。お交わりする時間が短くて残念でした。 最後の日は、仮設住宅に住みながらレストラン(慶明丸)を開いている方を訪問しました。津波で店と共に流された「慶」という文字の入った看板がアラスカで見つかったそうです。しかも「慶」という漢字は、30年ほど前に亡くなったご主人の名前だったそうです。その奥様からゆっくりと津波の時の話を聞くことができ感動でした。話を聞いた後、その方の仮設住宅に行きました。近所のみなさんが待っていてくださってとても感動しました。短い時間しかありませんでしたが、みんなで「上を向いて歩こう」を歌いました。一人一人と握手した時の大きな口を開けて笑われる、あの笑顔が忘れられません。 見ず知らずの私たちをこれほど歓迎してくださったのも、震災後に南三陸で支援活動を続けておられる、森谷先生をはじめ皆様の地道な訪問のおかげであると思い感謝しました。 追記: ・台風 台風が夜に来るというので、夜に北三陸から南三陸へ移動することになりました。移動前に行った最後の仮設住宅の集会は子供さんが2名来られました。一緒に卓球をしたり、アメリカの動物の鳴き声の講座などとても喜んで下さいました。 その後で、ダウン先生と夕食をしました。そこではチームの皆さんは英語で話され、私はポカーンとしていました。でも笑いは絶えませんでした。言葉は違っていても、イエス様が私たちをつないてくださっていると思いました。 その後、5時間の道を宿舎の田尻教会まで戻りました(運転ご苦労様でした)。杉の香りのする素晴らしい教会堂、栗ごはん、トン汁の美味しかったこと。 ・釜石にて 日曜日に「いっぽいっぽ釜石」で外国から帰国された若いクリスチャンたちと一緒に礼拝をしました。そこでメッセージされた牧師先生の夫人は、鼻から管を入れて咳の止まらない苦しみの中で支援活動を続けておられました。礼拝の後、3階建ての消防署に行きました。津波で中に避難した方が大勢なくなったとのこと。帰国者の方々と3-4人に分かれて祈りました。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 私の助けは、天地を造られた主から来る。」と聖書の言葉が語られ、励まされました。 素晴らしい充実した8日間でした。最後にもう一つの思い出を・・・ ・手作りの袋 12日の集会でフェルトで被災者の方々と一緒に袋を作りました。みなさん最後まで縫って下さって、「これを記念に家に飾っとくわ」と言って下さいました。またオレゴンの方の手作りの編み物の帽子、ふんわりとしたマフラー、とても喜ばれました。温もりが私まで伝わってきました。オレゴンの皆さんありがとう!